君たちはどう生きるかを見る前と見た後の日記
この文章は、
岡田斗司夫に脳を支配される前に(君たちはどう生きるか感想)
のタイトルで書き進めていたら、割と最近の日記というか、自分の体験が多く入ってしまったので、このタイトルに書いた後にしました。もちろん、ネタバレが多分に含まれております。ご注意ください。
19時から。俺は多分見るだろう。そして岡田斗司夫の意見に脳を支配される。
だからこの文章は俺が俺でなくなる前に君たちはどう生きるかの感想を留めておく、記録だ。
君たちはどう生きるか、を見る前の自身の状況についてまず書こうと思う。
祖父の初盆のため、地元に帰省した。
葬式は行けなかったので、ようやっと自分の気持ちの整理がつけられる、いい機会だった。
骨壷の中を見る機会があり、見た。
あの爺ちゃんが、白い骨になっていた。
生きていた人、お話した人、遺伝子がつながっている人、が、物質になっている感覚は、不思議だ。
その日、墓に入る分と、爺ちゃんの梨農園に散骨する文を分骨し、炎天下の梨畑に向かった。
以前芝居で浄土真宗の葬儀の際に用いられる、白骨の文という文章を読んだことがある。当時も勉強して理解したつもりになっていたが、お骨を手に持った瞬間、頭ではなく身体で理解できた。人って死ぬんだよなぁ。
話が少しそれた。
その後、実家の部屋に置いていた本をいくつか東京に送ろうと思い、本棚を整理した。
その際に、富野由悠季の「映像の原則」があった。富野由悠季はアニメの人間だが、欲求として、映画を死ぬほど作りたかった人間なので、アニメに限らず、映像作品全般のことが、基礎からしっかり書いてある。名著だ。
自分はこの本でしか、映像表現を勉強したことがない。ぺらぺらとめくってみる。
読み返すと、アニメーターは芝居を観ろ、と繰り返し書いてあることに気がつく。芝居を描けないアニメーターが多すぎると。
尊敬する人から、自分が身を置いている分野を参考にしろ、と言われるのは相当に嬉しいことだ。
(富野由悠季という人間を人間性含めて全て尊敬し、妄信しているわけではないと言うことにご留意いただきたい。同じことが宮崎駿、庵野秀明にも言える)
富野由悠季、宮崎駿、庵野秀明、少し毛色が違うが、ギレルモ・デル・トロ。自分が好きな映像作家だ。
この方々に共通して言えることは、創造性、作家性が強い人間だと評価されることが多いが、その実、商業的な成功のことを意識して作品を作っている。ということだ。
天才的な作家が作った、お客に媚びた作品が好きだ。コナン・ドイルはシャーロック・ホームズを執筆料をもらうために書いたし、三島由紀夫の最高傑作は命売りますだと思っている。
作品に触れるとき、天才の手のひらの上で踊らされている感覚がたまらなく好きだ。
またまた話がそれたが、「映像の原則」を読んだ後に「君たちはどう生きるか」を見にいく。
映画館に入ってチケットを買った後、「映像研には手を出すな!」の新刊が発売していることに気がつき、Amazonで電子書籍版をポチった。
“大人”から表現規制をされた映像研の面々が、それでも自分の表現を貫き通し、規制しようとした大人さえ、彼女らの完成品に意識が変革していく、痛快な巻だった。
天才たちの商業作品が好きだと言ったが、作家が自身を曲げず、己の意思を貫き通す、というのももちろん好きだ。
そんな相反する考えを抱きつつ、これからみる映画はどっちなんだろうなと思う。
前の文章でも書いたが、宮崎駿はドキュメンタリーなどで我儘を貫き通す老害として見られることが多いが、実際はアニメ制作集団をどう維持していくか、ということを意識している人間だ。(このことも岡田斗司夫を通じて知った。クソ!脳が岡田斗司夫に侵食されている!早く筆を進めなければ!俺が俺でなくなる前に!)
映画が始まる。青い背景のトトロの絵が映る。
本当に低俗な意見で申し訳ないのだが、まず最初に思ったのは、ジブリって、すげえ!だった。
人が歩く時、重心を動かしながら移動している、という描写が、全部のシーンで描かれている。
ベットに腰掛ける時、布団が沈む様子で、動きを補完している。
大人数が一斉に動き、その一人一人が丁寧に、意識がある人間として描写されている。
これらの技術は、今回の作品だけでなく、以前の作品でも共通して言えることだが、ジブリ作品を見たのが本当に久しぶりだったのと、直近で「映像の原則」を読んでいたので、その表現を実現させるのに、恐ろしく労力がかかることを認識できた。
自分は今、贅沢な体験をしている、という感覚。自分の作品をお客様に提供する時に、そう思っていただけるような作品作りをしたいし、しなければいけないが、その一例を目の前で見せられると、その壁の高さに圧倒される。
頑張るよ!?頑張るけどね!
全体として、シュナの旅を思い出すつくりだったと思う。シュナの旅は、宮崎駿作の絵本です。
漫画版ナウシカの原案になった作品だと自分は思ってますが、どうでしょうか。
ストーリーラインも、宮崎駿の書いた絵本だと思えば、非常にわかりやすく、話の流れも自然だったと思います。シンプルに、新しいお母さんを救いにいく話、で良いと思ってる。ハウルとかよりわかりやすくなかった?
駿、シュナの旅やりたかったんだよ。もっと早くにやらせてあげてよ。
なので、スーパー解釈で「君たちはどう生きるか」は「ナウシカ2」だったんじゃないかなと言うこともできる!はず!
ていうかもう自分の中ではナウシカ2だと確信してます。
インコの巣の奥の庭園、あれ漫画ナウシカのドルク領の庭園じゃん!
主人公の采配によって世界の存続が決まるとことかさあ!
漫画ナウシカはナウシカ自身が創造主を破壊することを選択したけど、今回は愚者の失敗によって破壊された。流石に、もうマヒトくん自身が破壊することはさせなかった。あるいはもう出来なかった。
駿は、世界の破壊が好きな人なんだな。
破壊、気持ちいいし、綺麗だもんな。
総評として、面白かったし、作品として楽しめた!アニメをIMAXで見たのは初めてだったことも加味してる感想かもしれないけど。
何より、宮崎駿が好きなことを好きなようにやってることが、本当に嬉しかったよ。
前の話だけど、今回は宮崎駿がいろんなしがらみ、制約から解き放たれて、自由にのびのび、作っていた、作品だと思う。映像研の方の自分が好きなパターンの作品です。
もっと早くからこの体制にしておけば、もっといろんな可能性が示せていたのでは?!?!なぁ!!○木!
じゃあ岡田斗司夫見てくるね…
以下、細かく思ったことです。
・親子の関係性が多く描かれているので、宮崎駿の親子関係を絡めた感想を多く見たけど、メタ的な感じで作品を考えることは、あんまりしたくない…
・映画館に行く前に、金曜ロードショーのテーマをフルで聴いた。いつかなんかの作品で使いたいな。
・本当に超個人的感想なんだけど、豆戦車の縦隊を出したかったから舞台設定戦中にしたんじゃないかと、出てきたところで思いましたね。
・七人のこびとオマージュのおばあちゃんたち、可愛くてよかった。
・三途の川にノアの方舟置いてあるのオシャレすぎるな。
他の感想でも言ってる人いたけど、なんで俺はあれをノアの方舟だと思ったんだろう。形か?
・新しいお母さんが、救われてよかったと思うよ。あの人もあの人で重圧かかりながら必死に自分を押し殺して頑張っててさ。石室的なところでお互い本音言えたから、良い家族になるんじゃないかな。と思ったけど、あそこ出たら記憶は無くなるんか…
・マヒトくんの血が繋がってる方のお母さん、ちょっと狂気が過ぎんか?
マジで火事にあった時ニッコニコで楽しかったってこと?!
・君生きバード→鷺→サギ
マヒトくん→嘘つき
似たものどうしが同族嫌悪しつつ、仲良くなるの、すき!
・宇宙から降ってきた隕石は、シュナの旅のUFO、ナウシカの墓所、2001宇宙の旅のモノリス、メイドインアビスの欲望の揺籃、SCP、のようなものだと思った。契約者が設定した世界を維持する機構。
・あの積み木、球の積み木途中で積まなかったらもうちょい安定してたんじゃないですかね…
・世界を終わらせた後の話、もうちょっと見たかったな。これは作者の思う壺かもしれない。
君たちはどう生きるかを見る前と見た後の日記
この文章は、
岡田斗司夫に脳を支配される前に(君たちはどう生きるか感想)
のタイトルで書き進めていたら、割と最近の日記というか、自分の体験が多く入ってしまったので、このタイトルに書いた後にしました。もちろん、ネタバレが多分に含まれております。ご注意ください。
19時から。俺は多分見るだろう。そして岡田斗司夫の意見に脳を支配される。
だからこの文章は俺が俺でなくなる前に君たちはどう生きるかの感想を留めておく、記録だ。
君たちはどう生きるか、を見る前の自身の状況についてまず書こうと思う。
祖父の初盆のため、地元に帰省した。
葬式は行けなかったので、ようやっと自分の気持ちの整理がつけられる、いい機会だった。
骨壷の中を見る機会があり、見た。
あの爺ちゃんが、白い骨になっていた。
生きていた人、お話した人、遺伝子がつながっている人、が、物質になっている感覚は、不思議だ。
その日、墓に入る分と、爺ちゃんの梨農園に散骨する文を分骨し、炎天下の梨畑に向かった。
以前芝居で浄土真宗の葬儀の際に用いられる、白骨の文という文章を読んだことがある。当時も勉強して理解したつもりになっていたが、お骨を手に持った瞬間、頭ではなく身体で理解できた。人って死ぬんだよなぁ。
話が少しそれた。
その後、実家の部屋に置いていた本をいくつか東京に送ろうと思い、本棚を整理した。
その際に、富野由悠季の「映像の原則」があった。富野由悠季はアニメの人間だが、欲求として、映画を死ぬほど作りたかった人間なので、アニメに限らず、映像作品全般のことが、基礎からしっかり書いてある。名著だ。
自分はこの本でしか、映像表現を勉強したことがない。ぺらぺらとめくってみる。
読み返すと、アニメーターは芝居を観ろ、と繰り返し書いてあることに気がつく。芝居を描けないアニメーターが多すぎると。
尊敬する人から、自分が身を置いている分野を参考にしろ、と言われるのは相当に嬉しいことだ。
(富野由悠季という人間を人間性含めて全て尊敬し、妄信しているわけではないと言うことにご留意いただきたい。同じことが宮崎駿、庵野秀明にも言える)
富野由悠季、宮崎駿、庵野秀明、少し毛色が違うが、ギレルモ・デル・トロ。自分が好きな映像作家だ。
この方々に共通して言えることは、創造性、作家性が強い人間だと評価されることが多いが、その実、商業的な成功のことを意識して作品を作っている。ということだ。
天才的な作家が作った、お客に媚びた作品が好きだ。コナン・ドイルはシャーロック・ホームズを執筆料をもらうために書いたし、三島由紀夫の最高傑作は命売りますだと思っている。
作品に触れるとき、天才の手のひらの上で踊らされている感覚がたまらなく好きだ。
またまた話がそれたが、「映像の原則」を読んだ後に「君たちはどう生きるか」を見にいく。
映画館に入ってチケットを買った後、「映像研には手を出すな!」の新刊が発売していることに気がつき、Amazonで電子書籍版をポチった。
“大人”から表現規制をされた映像研の面々が、それでも自分の表現を貫き通し、規制しようとした大人さえ、彼女らの完成品に意識が変革していく、痛快な巻だった。
天才たちの商業作品が好きだと言ったが、作家が自身を曲げず、己の意思を貫き通す、というのももちろん好きだ。
そんな相反する考えを抱きつつ、これからみる映画はどっちなんだろうなと思う。
前の文章でも書いたが、宮崎駿はドキュメンタリーなどで我儘を貫き通す老害として見られることが多いが、実際はアニメ制作集団をどう維持していくか、ということを意識している人間だ。(このことも岡田斗司夫を通じて知った。クソ!脳が岡田斗司夫に侵食されている!早く筆を進めなければ!俺が俺でなくなる前に!)
映画が始まる。青い背景のトトロの絵が映る。
本当に低俗な意見で申し訳ないのだが、まず最初に思ったのは、ジブリって、すげえ!だった。
人が歩く時、重心を動かしながら移動している、という描写が、全部のシーンで描かれている。
ベットに腰掛ける時、布団が沈む様子で、動きを補完している。
大人数が一斉に動き、その一人一人が丁寧に、意識がある人間として描写されている。
これらの技術は、今回の作品だけでなく、以前の作品でも共通して言えることだが、ジブリ作品を見たのが本当に久しぶりだったのと、直近で「映像の原則」を読んでいたので、その表現を実現させるのに、恐ろしく労力がかかることを認識できた。
自分は今、贅沢な体験をしている、という感覚。自分の作品をお客様に提供する時に、そう思っていただけるような作品作りをしたいし、しなければいけないが、その一例を目の前で見せられると、その壁の高さに圧倒される。
頑張るよ!?頑張るけどね!
全体として、シュナの旅を思い出すつくりだったと思う。シュナの旅は、宮崎駿作の絵本です。
漫画版ナウシカの原案になった作品だと自分は思ってますが、どうでしょうか。
ストーリーラインも、宮崎駿の書いた絵本だと思えば、非常にわかりやすく、話の流れも自然だったと思います。シンプルに、新しいお母さんを救いにいく話、で良いと思ってる。ハウルとかよりわかりやすくなかった?
駿、シュナの旅やりたかったんだよ。もっと早くにやらせてあげてよ。
なので、スーパー解釈で「君たちはどう生きるか」は「ナウシカ2」だったんじゃないかなと言うこともできる!はず!
ていうかもう自分の中ではナウシカ2だと確信してます。
インコの巣の奥の庭園、あれ漫画ナウシカのドルク領の庭園じゃん!
主人公の采配によって世界の存続が決まるとことかさあ!
漫画ナウシカはナウシカ自身が創造主を破壊することを選択したけど、今回は愚者の失敗によって破壊された。流石に、もうマヒトくん自身が破壊することはさせなかった。あるいはもう出来なかった。
駿は、世界の破壊が好きな人なんだな。
破壊、気持ちいいし、綺麗だもんな。
総評として、面白かったし、作品として楽しめた!アニメをIMAXで見たのは初めてだったことも加味してる感想かもしれないけど。
何より、宮崎駿が好きなことを好きなようにやってることが、本当に嬉しかったよ。
前の話だけど、今回は宮崎駿がいろんなしがらみ、制約から解き放たれて、自由にのびのび、作っていた、作品だと思う。映像研の方の自分が好きなパターンの作品です。
もっと早くからこの体制にしておけば、もっといろんな可能性が示せていたのでは?!?!なぁ!!○木!
じゃあ岡田斗司夫見てくるね…
以下、細かく思ったことです。
・親子の関係性が多く描かれているので、宮崎駿の親子関係を絡めた感想を多く見たけど、メタ的な感じで作品を考えることは、あんまりしたくない…
・映画館に行く前に、金曜ロードショーのテーマをフルで聴いた。いつかなんかの作品で使いたいな。
・本当に超個人的感想なんだけど、豆戦車の縦隊を出したかったから舞台設定戦中にしたんじゃないかと、出てきたところで思いましたね。
・七人のこびとオマージュのおばあちゃんたち、可愛くてよかった。
・三途の川にノアの方舟置いてあるのオシャレすぎるな。
他の感想でも言ってる人いたけど、なんで俺はあれをノアの方舟だと思ったんだろう。形か?
・新しいお母さんが、救われてよかったと思うよ。あの人もあの人で重圧かかりながら必死に自分を押し殺して頑張っててさ。石室的なところでお互い本音言えたから、良い家族になるんじゃないかな。と思ったけど、あそこ出たら記憶は無くなるんか…
・マヒトくんの血が繋がってる方のお母さん、ちょっと狂気が過ぎんか?
マジで火事にあった時ニッコニコで楽しかったってこと?!
・君生きバード→鷺→サギ
マヒトくん→嘘つき
似たものどうしが同族嫌悪しつつ、仲良くなるの、すき!
・宇宙から降ってきた隕石は、シュナの旅のUFO、ナウシカの墓所、2001宇宙の旅のモノリス、メイドインアビスの欲望の揺籃、SCP、のようなものだと思った。契約者が設定した世界を維持する機構。
・あの積み木、球の積み木途中で積まなかったらもうちょい安定してたんじゃないですかね…
・世界を終わらせた後の話、もうちょっと見たかったな。これは作者の思う壺かもしれない。
・宮崎駿自身が自分でもわからないって言ってたらしいけど、照れ隠しだと思ってます
役者性善説
こんにちは。今とても髭を剃りたい。西覚です。
次の作品の都合上、少なくともあと半年は剃れません。浮浪者ルックが続くと非常にまずい。
こんな感じになっている
タイトルの役者性善説というのは、自分が勝手に推してる説です。
せいぜん-せつ 【性善説】
人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており、 悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こるとする説。正統的儒学の人間観。孟子の首唱。
goo辞書【性善説】より
あらゆる役者、あるいは表現者は「いいものを作りたい」というのが行動原理にある。より良い評価を得ようとしているウェルメイドはもちろん、アングラにも粗雑なものに対して美学がある。
良くないもの作るためにエネルギーを割くことはしないですよね。そんな暇あったら可能性のある作品にエネルギー回したいじゃないですか。
問題は「いいもの作りたい」と思っていても酷いものができてしまうことだと思ってます。
あなたの近くにいる●ソ役者もいいもの作りたいと思っているんですよ。
自分のことしか考えてなくて悪目立ちする役者は、「最高の役者である自分が目立つことにより、作品が良くなる」と思ってます。
自信が無くて存在感がない役者も、「こんな自分が目立ってしまってもしょうがない。目立たないようにしよう」と思ってます。
いっつも稽古に遅刻する役者も、「より良いパフォーマンスをするためにちょっと休もう」と思って……いやこれは只の怠慢だな。稽古に来ない役者は全身の関節が爆発してイカになってほしい。
いいもの作ろうとしてつまんないものが出来る時は、知識や経験不足もあるけど、人間関係の構築がうまく行ってない時が多い。
信頼関係を築けないときは何やっても駄目になる。
ク●役者に対してなんなんだよコイツ…と余計な思考をした瞬間に関係性がフニャフニャし、言うべきことが言えなくなり、別に発表しても何も影響のない作品が出来上がり、打ち上げでどうでもいいことをグダグダと喋り、やがて歳をとりしぬ…
役者性善説を使うと「コイツもいい作品作りたいんだよな。方向性が合わないだけで。よっしゃなんとか折り合いをつける為に話し合ってみるか」となる。この思考になった時の俺は正直無敵で、あらゆることがプラスに働く流れが出来る。
思い返すと、苦手な人間が座組にいる時の方がいいもの作れてるような気がしている。
あらゆる人間をリスペクトしたいと思っている。だいぶうまく行くようになっているけど、若さが邪魔をする。大人になったらなんとかなるのかな。
髭と髪剃ってジョーサトリアーニみたいになりたいな
本を読む
中学生の頃、難しい本を読むのが好きでした。哲学とか思想の本とかです。内容はさっぱり頭に入ってこないのですが、難しい本を読んでいる時だけ頭が良くなった気がするんですよね。
結局頭が良くなったことはありませんでした。
速読はそれなりにできるようになりました。
大学生になって難しい本を読まなければならない機会が増えました。戯曲なんてその最たるもので、頭の中で登場人物を想像しなくちゃいけないので、小説読む時より頭の領域を広く使わなくちゃいけないので、すぐに疲れてしまうんですよね。
(脈絡なく挿入される実家の犬)
難しい本、読むのが本当に疲れるんですよ。わからない単語があったら調べなきゃいけないし、調べた後その単語のところから読書を再開すると文脈がわからなくなって結局その章を最初から読み直すハメになる。ノートにメモをとるときも然り。読書スピードも遅くなって、集中力も切れてきて、インプットにこんなに疲れてる自分ってなんなんだみたいな負の思考に陥り、色々と曖昧になって酒飲んで寝る。デススパイラルマシーンかよって思う。
(デススパイラルマシーンに特攻するキタンです)
そこで自分が実践しているのがダブル読書法。
①まず難しい本を2冊用意します。
②難しい本1を読みます
③難しい本1は難しいので疲れます
④気分転換に難しい本2を読みます
⑤難しい本2は難しいので疲れます
⑥気分転換に難しい本1を読みます
⑦③に戻ります
頭がいいですね
これを繰り返すことでいつか難しい本を2冊読了してしまうって寸法です。
メリットは比較的楽しく読めることと2冊読めることです。
デメリットは読書時間が2倍以上にハネ上がることです。
疲れたら人間椅子でも聴きましょう。
「暗い日曜日」
最近、人間椅子の「暗い日曜日」をよく聴く。
日曜日の午前中なんかに聞けばエモくていいんだろうが、聞いたことはない。暗い気分になるのは大体が平日だ。
暗い日曜日 - YouTube
最近、気分が落ち込んでいる。人生の中で数えきれないほど落ち込んで来たが、未だに対処方がわからない。仮に対処方がわかれば(問題が解決するかは別にして)多少なりとも気持ちが楽になる。人間は理解できないことに対して恐怖感を抱くのだから、少しでも「落ち込む」ということがわかってくれば精神的なダメージを減らす事が出来るんだろうが、それができない。これからの人生も、落ち込んだらしばらくいろんなことが手につかない状況が続くのだ。
ただ、落ち込む期間とか時間というのはだいぶ減って来たと思う。大学に入ってクソ忙しくなったので落ち込む暇がなくなった。もちろん、根底の問題を先送りにしているだけなので後からしっぺ返しを食らって、また落ち込む。
しかし、学習能力というのが人間にはある。天元突破グレンラガンでも言っていた。俺たちは1分1秒前の俺たちよりも進化している。
落ち込む期間を短くする方法をいくつかまとめてみる。
・アウトプットをせず、インプットだけする。
どうせ落ち込んでいる時にいい作品なんか作れやしないので、創作にかけるエネルギーを最小限にして、映画観たりとか本を読むことにする。全然関係ない作品から創作のヒントが見つかったりすると儲けもん。一石二鳥だ。
・休む
これが一番シンプルで強い。肉体と精神は常に二人三脚している状態なので、身体がヤバい時は精神もまいってくるし、精神がヤバいときは俺の場合胃がクソ痛くなる。ただ、休むと周りに迷惑がかけてしまう、これまた落ち込む状況を作り出してしまう。諸刃の剣だ。
・日光を浴びる
日向ぼっこは一番コスパがいい。大学の屋上にいい空間があって、そこで何もせずぼうっとしていると、最高だ。音楽を聞いたり、タバコを吸ったりする。日光を浴びるとビタミンB1が出て、これが鬱に効くらしい。効果を実感したことはないが、プラシーボで元気が出たというのを自分に言い聞かせるだけで、好転のきっかけになる気がする。
・旅に出る
最強。勝ち確。並ぶもの無し。無双。
これやっとけば大概の落ち込みはなんとかなって来た。本当にヤバくなったときはなにもかも捨てて旅に出る。空間が変わるというのがいいっぽい。空気も変わるし、場所も変わる。旅先では、クソほどやることがある。強制的に自身の周りからインプットするしかない状況になる。それがいい。旅先での会話がクソ楽しい。だって今の自分しか相手は見れないから。良いところも、悪いところも。人と話すのは最高にエモい。
今の問題を投げ出していく旅行もいいっちゃいいんだが、全て過ぎ去った後の旅行が最高に気持ちいい。
人間椅子の曲はいい。人と関わるのが無理になるくらい落ち込んだとき慰めてくれるのは音楽だ。画面を見なくても、ページをめくらなくても勝手にエモくなれるからだ。人間椅子とか、FreQuencyには、よく助けられた。